人は死んだらどうなるのか?

人は死んだらどうなるのか?

誰もが一度は考えたことがある問題です…

“死”に関する話が好きだという人はいない…僕たちは死を嫌う。病院では「4」が付く病室がありません。

しかし、死について学ぶことはとても重要な事です。なぜなら「死」が決して避けて通れない道だからです。

ボクが死について考えるのは死ぬためじゃない。生きるためなんだフランス作家

もし今日が人生の最後の日ならば、今日することは本当にしたいことか?  – Steve Jobs

忌み嫌われている「死」だが、死を意識して生きることで、僕たちの人生は大きく輝き出す…死と隣り合わせであると自覚しておく事は、人生を左右する最も重要なツールです。

今回は、人は死んだらどうなるか?科学的根拠を元に見ていきましょう。

宗教から「死」を考える

人は死んだらどうなるのか?

この答えを宗教によって見出すことはできません。

なぜか?

それは世界中には数多くの宗教が存在しているからです。

宗教が違えば死後の世界の考え方も当然違います。さらに多くの宗教は、その時代の権力者の手によって、都合のいいように内容を置き換えられてきました。昔から宗教は、血なまぐさい争いに利用されてきたのです。

キリスト教と仏教を比べてみます。

キリスト教は世界がいずれ終焉するという、終末思想を前提としており「最後の審判」によって天国か地獄かが決まります。死んだら生まれ変わるという概念はありません。(ユダヤ教から分離した当時は、生まれ変わりと言う概念は存在した)

対する仏教には、輪廻転生や成仏という考え方があります。

これは人は死んだら生まれ変わることを意味します。

ちなみに日本には「お盆」という、先祖の魂がこの世へ帰ってくると言った考え方がありますが、約6割の国民が無宗教に属しています。

要するに、宗教が違えば思い描いている死後の世界も違います。だから宗教から死後の世界を見出すことはできない。

さらに死を宗教で語れば争いの元となります。これは歴史が証明しており、宗教の力は僕たちが想像しているよりもずっと強力なのです。

だから、僕たちは、科学に基づいて客観的に死後の世界を見ていかなければいけない

その上で大切なのが科学に基づいた「死生学」です。

死生学から「死」を考える

死生学とは、死について「医学」「心理学」「哲学」など様々な立場から、科学的に死を研究した学問です。

ここからは、死生学研究の一つである「臨死体験」と「前世の記憶」に着目し死後の世界を見ていきます。

「臨死体験」とは、 死に非常に近い状態から回復した人が体験した現象のことを指します。つまり一度、天国を訪れた人の話と言うことです。

興味深い事に、この体験を統計的に分析すると共通する部分が多いのです。


  1. 対外離脱する(肉体から魂がぬける)
  2. 苦痛から解放され、心が静まり安らぐ。
  3. すでに死んだ身内、友人との再会。
  4. 走馬灯で自分の人生を振り返る。
  5. 暗いトンネルを通る
  6. 天国のような場所で光と遭遇し「愛」「学び」に関したメッセージを受ける。

    ※死後の世界に地獄は存在しない

どうでしたか?一度は聞いたことのあるような流れですが、ここで注目すべきことは、死後の世界に地獄など存在しないと言う部分です。

この体験はキリスト教だろうが仏教だろうが関係ありません。インターネットなど無く、臨死体験など誰も知らなかった1975年でさえ、この体験は世界で共通していました。

これが死後の世界ならば、僕たちが思っているより、死は苦しく悲観的な存在ではないのかもしれませんね…

もう一つの「前世の記憶」とは、生まれたばかりの子どもが知るはずのない、前世の記憶が残っているという現象です。これは魂が生まれ変わることを意味します。


  1. 自分が手術を受けている所を鮮明に説明する人
  2. 自分が知らない言語を理解できる子ども
  3. 天国で自分の知らない兄弟と再会した人
  4. 自分の前世を的確に説明する子ども

他にも数多くの科学では説明できない実例が存在する…

つまり、客観的事実に基づくと「臨死体験や生まれ変わりは、ただの幻覚や想像といった頭の中で起きる現象ではなく、人間の核にある化学では説明できないものだ」と言うことができるのです。

科学とは結局のところ、人間が証明できる狭い範囲のものでしかありません。

死後の世界は存在する。そして人間の魂は生まれ変わる。これが死生学に基づき客観的に考えた事実です。

「死後の世界」と「自殺」の関係

臨死体験で非常に重要なテーマがあります。それは「自殺」です。

日本では一年あたり約2万人が自ら命を絶っています。

僕たちは死ぬことにより、あらゆる苦悩から解放され、再び生まれ変わる…

しかし、自殺による臨死体験では、通常の臨死体験とは違う苦悩に満ちた体験が報告されています

それは真っ暗な宇宙の真ん中に置かれているような感覚で、一筋の光も見えず、この世で経験したことのない寂しさを味わう。そして自殺による臨死体験を味わった人が、再び自殺することは決して無い…それ程つらく、苦しい体験だったようです。

だから自殺は絶対にしてはいけない…自ら命を絶つことによって、苦しみから解放されることは決してない。自殺してもその魂は再び同じ試練を与えられるのです。

死生学から考える「生きる意味」

死後の世界は存在し、魂は生まれ変わる。科学では理解不能だが、これが死生学に基づく客観的な事実です。

他にも科学で説明できないモノの一つとして「祈りの力」というモノがあります。

麦の発芽実験では、何度繰り返しても「祈り」を受けた種の方が早く発芽する。

また、病院では「祈り」を受けた患者の方が早く回復する。僕たちの世界には、こういった頭では理解できない謎に満ちた部分が存在するのです。

人は死ぬと天国に行く…そこでは、この上なく優しい愛の光に包まれ、あらゆる苦しみから解放される。そして、自分の人生を振り返り、光に問いかけられる。どれだけ人を愛したか?どれだけ学んだか?

死生学から人生の生きる意味を考えると「人を愛し学び続けること」と言うことができます。

最後に…

「死」と「生」 は相反するものではなく、背中合わせである存在です。そして、いつもお互いに支え合っている…死について考えることで、自分が何をしたいのか、何をすべきなのか明確になるのではないでしょうか?

しかし、実際に何が起こるかは死んでみないと分かりません。それでも死は恐れるものでもなければ、苦しいものでもなく、言葉で表現することのできない優しい存在なのかもしれない…このように考える事は人生の死に対する不安を和らげてくれます。

そして「魂は生まれ変わる」と考えることで、死が訪れる最後まで自分を大切にすることができ、人に思いやりを持って生きていくことができるのではないでしょうか。

END

参考文献:死生学から考える死後の世界

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Author: てぃけ
相場歴8年目の26歳。 主に「為替」「商品」「仮想通貨」のトレードに関する記事を書いています。金利や投機筋のポジション動向、直観を軸にした、中期的なトレードがメインです。